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Re:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

こういう意見はすぐ強者の論理みたいに思われてしまうけど、どうだろう??

そろそろお気づきだろうか。こういった「宛名のない善意」というのは、自らそれを使わなければ何も起こらないということを。たとえ自分の目と鼻の先にそれがあっても、自分で手をのばさなければそれは存在しないも同様なのだ。

しかし、手をのばせば、確かにそれはある。

それが、私を救ったものの正体である。

「宛名のない善意」というのは、バイキング式の料理にも例えられるだろう。ビュッフェ(buffet)。スモーガスボード(smorgasbord)。料理は確かにそこにあるのだが、給仕が自分のテーブルに並べてくれるわけではない。給仕は自分自身の仕事である。

404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

あと、家庭の事情などでバイキングに入れない人たちはいるから、入れるようにすることだけは最低でも必要かな、と。
そして、バイキングがあることを知らない人もいるし、バイキングの存在は教えたい。


現実として、バイキングの存在を教えても料理を取りに行く人が少ないというのは事実だと思う。
それが学校教育が原因なのか家庭の崩壊が原因なのか僕にはわからないし、考えるつもりもないけど。


もし、会社の規模とかコネとか環境的な強みがなければ、自分で料理を取りに行かない限り何も世界が変わらない。
正確に言うと、料理を取りに行くと世界が変わるんじゃなくて、自分自身の世界の見方が変わるから世界が変わったように感じるんだけど。


とにかく、バイキングなのに、イスに座って「ステーキが食べたい」みたいな希望を述べても永久にステーキは食べられないんだ。
イスから立って物色してみれば、ステーキはなくてもウニがあるかもしれない。
最初の希望とは違う食べ物だけど、ウニもおいしいってことに気付く。


夢や希望は行動と結びつかない限り、妄想でしかない。
もちろん、自分自身への言葉。