今から話すことは僕個人が考える、一般的な意味での会社論だけど。
働きやすい会社とは、プライベートな事情を気軽に持ち込める会社だと考えてる。
持ち込む個人は申し訳ないという意識を強く持つことなく、持ち込まれる組織は嫌々受け入れるという無言の圧力を出すことなく、個人のプライベートな事情を持ち込める会社は働きやすい会社だ。
実はこのことはいまさら考えることでもない。
たとえば育児休暇は制度化されているけど、これも出産というプライベートな事情を持ち込めるようにしている、と言える。
残念なことは制度というレベルでしか認識されておらず、育児休暇ではなく退職を促されたり復帰後が閑職であったりすることもあるらしい。
これは新聞の記事みたいなもので見聞きしただけだけど。
僕が考えるのは、出産よりももっと小さなプライベートな事情でも、制度だからという消極的なものでなく積極的に、組織を構成する人が好意的にその事情を受け入れる土壌があるか、ということだ。
こう主張する2つの理由
こう主張する理由は2つある。
- 仕事とプライベートを完全に分けて生活することはできないから
- 知識労働は時間に比例しないから
そもそも人間は仕事とプライベートを完全に分けて生活できないよ。
もし家族に不幸があれば、仕事なんてしていられない。
機械と異なり人間に感情がある以上、プライベートで起こった感情は必ず仕事のパフォーマンスに影響する。
人生は仕事だけじゃない。
たとえば子供をお風呂に入れられる期間なんてほんの数年しかないんだよね。
その数年、普通より1時間早く帰れる日があるだけでいいのに。
その人の1時間を受け止められないくらい組織に余裕がないの??
仕事とプライベートをきっちり分ける風土って、とても冷たいものなんじゃないか。
ある人がどんなプライベートなのかは考慮せず、常に仕事のパフォーマンスを求めるわけだから。
それは自分以外興味がないと言ってるのと同じでは?
個人によっていろんな事情がある時期はそれぞれ異なるわけだから、
そのとき余裕がある人が喜んで受け止めてあげれば、とてもいい会社になる。
もちろんこれは「知識労働は時間に比例しない」という前提があるから。
1時間長く働いたといってもぼーっとしててもいいだから。
肉体労働と異なりある人が8時間かかったことがその人だと1時間なんてのも普通だ。
優秀な人は簡単に育てられるわけではなく、数が多いわけでもない。
つなぎ止める必要があるし、できるだけ高いパフォーマンスを発揮してもらう方がいい。
何もアクションしないけど、長時間働く人なんてのは知識労働では必要ないんだから。
会社の福利厚生ってのは施設がどうこうとか社員旅行がどうこうよりも、
まず個人の事情を積極的に受け止められるような
制度・風土・文化・雰囲気があればいい。
こういうのを満たすことは全然難しいことじゃない。
そもそもフレックスなんてのはここから出てきたことじゃなかったの??
普通の日々にフレックスなんていらないんだよ。
フレックスは寝坊の言い訳のためじゃない。
普通でない日々、自分が病院に行きたかったり子供を保育所に連れて行きたかったりするときにこそほしいんだよ。
そんな風に考えた。