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ルールを守ることは常に善なのか?通勤のエレベーターについて考える

どうしても善だと思えないから、エントリを書いてるんだけど。

大企業になると、自社の高層ビルがあることもあり、
必然的に作業フロアにたどり着くには、エレベーターを利用することになる。

当然、ピーク時の人員をさばけるようなキャパシティはエレベーターにはなく、
5分10分待たされることになる。


その時のそこの社員の人たちは、みなイライラし、不機嫌な顔をしてる。
後ろから割り込みされたり、体を当てられたりすることもあり、朝からあまりいい気持ちにはなれない。

少しぐらい後でもいい、余裕を持って乗れるエレベーターに乗ることにしている。


もちろん、それらの企業も何も策を講じていないではなく、フロアごとに始業時間をずらしたりはしていると思う。
でも、10分程度ずらしても、そうピークは変わらない。
対策をしています、というアピール程度の効果しかない。

そして、誰もがあきらめている。


いくらそれらの企業が、時間労働じゃない、成果だと声高に叫んでも、
始業時間はきっちり決められ、それから7時間半だか8時間働かないといけない。

ピークを避けて7時に出社したからと行って、16時に帰れるわけではない。


出社した時間から、8時間にすればいいんじゃない?

ごまかす人がいる?時間労働じゃなくて成果なんでしょう??


何より、誰もが朝からいい気持ちになれずに、
どうやって知識労働でよい成果を上げれるんだろうと、疑問に思う方が狭量な考えなのかな?

あのエレベーター戦争にいると、どうしてもみんながお互いの足の引っ張り合いをしてるように感じてしまう。


ルールは大切だ。個人ではなくチームで動くなら特に。

だけど、盲目的にルールを守っているとき、それはチームや組織のためではなくて、責任転嫁のためだけだ。


人間にとって大切なモノを忘れてるんじゃない?

始業時間に間に合うことじゃなくて、知らない人でも同じビルにいる仲間、

みんな気持ちよく働ける環境を作ることこそが、

翻って自分の労働環境もよくすることなんだと、僕は思うな。


日本のビジネスマンは、通勤途中にだれかが発作を起こしても

始業に間に合わせるのを優先させるんじゃないかって、怖くなる時があるよ。


他の例だと、時短で働いてる人に肩身の狭い思いをさせる雰囲気なんて間違ってる。

そうした人も気持ちよく働いて、能力をフルに使ってもらうのがマネジメント。


そして、僕は、誰かが困ったとき、バカンスに行くとき、

「休んでる間はオレに任せとけ!だから俺が休むときは頼むな!」

っていう雰囲気を作りたい。


(自分の休む都合ばかり言って、こうした相互扶助の精神がない人はけっこう困るんだけど。)