Fight the Future

Java言語とJVM、そしてJavaエコシステム全般にまつわること

JOnsen 2018 - 2回目のJOnsen #JOnsenUnconf #JOnsen

JOnsenは"Java Unconference at a Japanese Onsen"、つまり日本の温泉宿で開催するJavaアンカンファレンスです。

JOnsen、そしてアンカンファレンスについては、JJUG/Java女子部のよこなさんがすばらしいエントリを書いていらっしゃるので、そちらをぜひお読みください。

ihcomega.hatenadiary.com

日本と海外のJavaチャンピオンとJUGリーダ、オラクル社のJava関係者が集まる少数でのイベントです。去年2017年が第1回、今年2018年が第2回です。参加者は合計30名ほど、昨年は20名ほどでしたので増えましたね。形態上少しクローズドなイベントです。

必然的にコミュニケーションはすべて英語となります。

私は関ジャバというJUGの代表であるため、前回の第1回も参加していました。そしてボロボロに打ちのめされました。そう、英語でのコミュニケーション、セッション中の対話や食事などでの日常会話です。

www.sakatakoichi.com

今回は…やっぱりボロボロではありました。ただ、前回よりマシになったのはたしかです。前回のJOnsenから1年間、ゆるやかに英語学習は続けてきました。

日本でやっているというのもポイントで、英語でコミュニケートすることに心理的な安心感があります。下手くそな英語を話しても、相手の話がわからなくて聞き返しても、大丈夫だ、という。

今の自分にとって、JOnsenは日本で開催されるイベントの中で一番重要な位置を占める、とわかりました。国内外のエキスパートたちと少人数で合宿しているような状態で昼夜を問わず話をします。技術だけではなくJavaエコシステムの詳細を深く知ることができます。そして、このJOnsenから僕のネットワークが広がっています。ここで会う人たちと、別の場所(たとえば海外カンファレンスやJava Day Tokyo)で必ず会うからです。

このような機会を作ってくださったすべての方々に感謝の気持ちしかありません。同時に、僕がこの体験から得たものを広めたいという思いもあります。押し付けはしたくありませんが、エンジニア人生がより楽しくなるのではと感じるからです。

じゅくちょー、Oracle Code OneのProposalをみんなにライブ添削される

アンカンファレンスセッションは2トラック各10セッションはありました。その中でカンファレンスのCfPに対するよりよいProposalの書き方というものがありました。生きたサンプルが必要だ!ということで、海外の方からOracle Code Oneへの実際のProposalを出してもらい、主にStephen Chinさん(Oracle Code Oneの運営責任者的な方)が添削をしてポイントを教えてもらいました。

そう、Oracle Code One。私もProposalを出していたのです。前夜SteveさんにProposalを出した話をしていた私は、戦々恐々でした。Steveさんはさくらばさんに「Proposal出した?」と聞きました。さくらばさんは「出してないよ。」続けて「じゅくちょーが出してるよ」と…

あ゛あ゛あ゛ー!!

私のProposalが、プロジェクタに映されました。とてつもなく汗が出ました。英語ネイティブは数名ですが、私より英語ができる方しかいないのに…日本の文化で育った人間にはこれは堪えますね。

でも、恥を堪え忍めばとても学びがありました。別の機会に、詳しくまとめようと考えています。やはり、私の英語はodd、ちょっと変だということでした。こうした場合、Proposalに入力しているプレゼンテーション動画をチェックするとのことです。そして映し出される私のDevoxxUSでのプレゼンテーション動画…このセッションでは心拍、血圧ともかなり上がってしまいました。

所感

海外の方が、日本のコミュニティやエンジニア全体について本当に深く考えてくれている、と感じます。日本語が言語として英語からかなり遠いこともあり、英語での表現がないがゆえに日本のコミュニティやエンジニアが世界ではvisibilityを得られていないとも言えますが、そもそも英語の壁でJavaのエコシステムの情報が広まっていないと考えます。たとえばJavaOne(現Oracle Code One)を始めさまざまなJavaカンファレンスが世界中にあることや、世界中にJUGというコミュニティがある、といったことです。

そうした壁を、私はJOnsenに参加された方々の力を借りて少し開くことができました。今後も私自身がその壁をより一層開いていくことはもちろん、関ジャバというJUGの代表として日本のJavaエンジニアの方々(そうなりたいと望んでおられる方)が実際にそうなっていく手助けができれば、と思っています(ペイ・フォワード)。