僕も塾講師をしていたから教育について考えることがたまにある。
僕もそうだったが、日本の教育は5教科あれば5教科とも点数を高くすることを求める。
言い換えれば教育としてゼネラリストばかりを育てるという方針だし、
学ぶ側は「すべてによい点数をとらなければならない」という考えを植え付けられる。
これが社会に出ての不幸を生んでいるとふと思った。
僕も部下がいるわけだけど、みんなどの機会もいい評価を得なくちゃいけないって考えてしまって、
すごく窮屈な思いをしているように感じる。
学生のテストは各教科100点までだ。0点から100点までしかない。
でも社会人は言うなれば各教科100,000,000,000点だ。
教科ごとの上限が大きすぎるから、すべてに満点を取ることなんて誰にもできない。
だから、どの教科もいい点を取ろうなんて考えなくていいんだ。
社会人だからビジネスマナーと報連相だけは最低限必要だけど、
たとえばプログラミングという教科だけで10万点という人でもいいし、
逆にどの教科も2万点という人も5教科合計すれば10万点だ。
すべてで満点を狙おうとすれば、必ず評価制度に対しての不満が募る。
それはプレッシャーからの逃避のためだ。自己防衛としては正しい働きだけど、不毛だ。
自分がどういう人材になりたいのか、なれるのか、自分で選択する。
どのような配分でも合計が10万点の人はとても貴重な人材だろう。
何かに特化している人、何でもそつなくこなせる人、それに優劣はないし、それぞれ活躍する場面がある。
いろいろな教科で評価を「受けている」という受動的な考えではなくて、
何で評価して「もらいたいのか」能動的に考える。
弱点を鍛えて0点が100点になったところで、合計に与える影響なんて無いに等しいし、
それを得意としている人に任せた方がいい結果になる。
僕もそうだけど、日本人はとかくダメ出しをして弱点ばかり指摘するけど、
そもそも日本人は褒めて伸ばす人種なんじゃないかってホントよく感じる。
本当にみんな窮屈そうなんだよ。
一つもミスが許されないような、そんな感じなんだ。
中年のサラリーマンはみんなつまならさそうに通勤電車に乗ってるんだ。
たとえが悪いかもしれないけど、イタリア?の世界遺産に落書きをしてしまった大学生がいたよね。
それは本当に悪いことだけど、イタリアの人たちは「謝ったからもういいよ」で終わったみたい。
後に引っ張るほどのことでもないというか。
これが本当は普通なんじゃない。
大小あるにしろ失敗しない人間なんていないわけで、本当に重い罪以外はもっとおおらかでいいと思う。
上司が「俺が責任を取る」っていうのはこういう感じなんじゃないか。
伸び伸び取り組める環境を作るというか。